林 千絵のコラム しおさい日記タイトル

 

林 千絵のコラム 
しおさい日記


第一話  

「潮騒」 



林千絵のコラム しおさい日記



 

私が父の都合で川崎から茅ヶ崎の海辺の家に引っ越してきたのは13歳の夏でした。
その頃まだ茅ヶ崎は古い木造の駅舎で高い建物も無く、
海から吹く風に乗って濃い潮の香りが町中に漂っていました。
生まれ育った町を離れて初めて駅に降り立ち、その荒々しい潮の香りを吸い込んだ途端に
「ああ、随分遠くに来てしまった」という不安でいっぱいになったことを覚えています。

転校した中学は海のすぐそばにあったので、三階の教室の南側の窓の席からはよく海が見えました。
学校では「海側の席に座ると成績が落ちる」というジンクスが囁かれていましたが、それもそのはず、海は刻々と姿を変え、何時間見ていても飽きることがありません。
冬の晴れた日の澄んだ青、プランクトンの異常発生で出現する赤く澱んだ潮、風の強い日に立つ三角の白波。
朝と夕方、太陽の位置ですっかり様変わりする海の色。
私は席替えのたびに「海側の席になりますように」と心の中で念じていました。
そして窓側の席になると授業そっちのけでぼーっと海を眺めては、その海の底に潜んでいるもの…奇怪な風貌をした深海魚や美しい貝殻たち…に想いを巡らせるのでした。

閉塞感のある学校生活をなんとかやり過ごせたのは、
ひとえに窓から見えた海のお陰かもしれないと今でも思うのです。

 

(文・木口木版 林  千絵)

 



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林 千絵
Chie Hayashi


小説や詩など文学に触発された作品が多数あります。
また、現実と夢の狭間に浮かぶ遠い記憶をたぐり寄せて作品にしています。
木口木版を中心に水彩画など2007年より制作発表。
東京、神戸、大阪を中心に個展、グループ展、
美術館企画展などに多数参加しています。


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