フランツ・フォン・バイロス

フランツ・フォン・バイロス

フランツ・フォン・バイロス

バイロスの 名品創作版画集 マダムC.C.
1912制作 全作品30点が揃うのは今や世界中で稀な奇跡
制作ナンバー48番、30点の各版上にCHOISY LE CONIN のサインが入っている。


1912年ウイーンに於いてバイロスがCHOISY LE CONIN の名で私家版として30作品を300 部を出版。
「技法は、もともとは古く17世紀ごろよりフランスで行われていたアクアチント技法より考案された製版技法で、 描画を銅版のうえに焼き付け細部を凹版で彫って摺り上げたもので、ヘリオグラビュール(英)とも言う。」
この作品は通称「C.C.夫人の閨房J と言われ、発刊後オーストリアやフランスをはじめヨーロッパ各地で人気となった。バイロスは画集「化粧台物語」がミュンヘン警察でわいせつ罪で告訴された経緯があり、 官憲との関わりを避けるためこの作品の原版を破棄している。

 「全作品30点 34 × 28cm ED 48/300 1912年制作 紙箱入 」
SOLD OUT


「C.C.夫人の閨房J 裏話1
1997年7月にサバト館より発刊された印刷画集「C.C.夫人の閨房」は、初版本を運良く入手したものを再版、 全30点のうち6点が欠落しており、その後も求める事が困難で、欠落の6点はアメリカのシセラ・プレスより 刊行の復刻版からの複写になっていることを同画集に添付された刊行ノートに記されている。 現在この初版のC.C.夫人の閨房は、完全に揃っているものは世界でも稀である。


C.C.夫人の閨房J 裏話2
澁澤龍彦氏は、芸術新潮1979年6月号紙上で、バイロスについて語っている。 (一部抜粋)
「私にとって一番気に入っているバイロスの作品シリーズは、やはり『C・C夫人の閨房』である。少なくとも ここには、まぎれもないバイロスのスタイルと呼びうるものがあるように、私には感じられる。
(中略)同時代のビアズレーの画風とは明らかに違って、その画面に憂愁と倦怠にみちた陰翳があるのは
バイロスの持って生まれたウィーン的な性格を明瞭に物語っているそこをこそ私たちは味わうべきだろう。」 と述べておられる。




Franz von Bayros
1866
クロアチア、ザグレブで侯爵家の末っ子として生まれる
1888
ミュンヘンとウイーンの美術学校で絵画を学ぶ
1896
ヨハン・シュトラウス二世の令嬢とウイーンで結婚
1897
短い結婚生活に破れ、ミュンヘンに逃れ再出発を図る
1904 〜
大規模な個展の成功、挿絵や蔵書票の注文が次々と来る
1911
画集「化粧台物語」が、わいせつ罪で ミュンヘン警察から告訴される。
公判を避け再びウイーンに戻る
1912
のちに制作された創作版画の原点とも言える「Bilder aus dem Boudoir der MadamC.C.」30葉 を CHOISY LE CONINの変名で創作版画集として私家版で制作する
1921
ダンテ600年記念祭の為に「神曲」60点の水彩画を完成、オーストリア、ドイツ、イタリアの展覧会で絶賛される
1924
仕事中に脳溢血で死去 58歳
生涯判明している制作物は、創作版画集12種240点、挿絵本41種272点、蔵書票330点以上


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