園丁だより
 

関東北部の山間部に在る我が家の庭は、植物たちがのびのびと育ち、庭というよりは野原、あるいは草むらと呼ぶに相応しいような、ありのままの自然に溢れています。耳を澄ませば、風にそよぐ草木のざわめき、陽光に暖められて弾け飛ぶ種、小動物や昆虫たちの微かな動き等々、実に様々な命の営みの音が聞こえてきます。私もまた、この庭でひしめき合う数多の命の中の一粒。私の意識はヒトという入れ物を抜け出して、好奇心の赴くまま草むらに分け入り、美しく逞しい野生の中に溶け込んでゆきます。ここは私の創作の種に満ちた大切な場所のひとつです。


園丁とは庭を作る職人や管理者のこと。この庭の数多の生命の営みを守り、繋いでゆくことが庭作りだとすれば、私を含め、すべての生き物が園丁と言えるでしょう。植物の受粉を担う昆虫、その昆虫を狙う蜘蛛やカエルやトカゲなどの小動物、さらにそれらを餌とする鳥たち等…。時に美しく、時に残酷にも見える命の連鎖によって、この庭のありのままの自然の均衡が保たれています。
 

四季折々に繰り広げられる命の物語を拾い集め、空想と混ぜ合わせ、私は作品を作っています。
 

様々な園丁仲間と共に見つけたとっておきのお話を「園丁だより」としてお届け致します。
 

 


 


長野順子 新作銅版画

「緑陰にて


イメージサイズ
12×9cm

シートサイズ
25.4×20.3cm
 

技法:エッチング、アクアチント

エディション30 2025年

税込シート価格:11,000円


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園丁だより 第三話

「緑陰にて」
 

ヒグラシの輪唱と競い合うように、鳥たちの賑やかな囀りが響き渡ります。

あぁ、今のはホトトギス。ウグイスに…、ガビチョウ、ミンミンゼミも加わった…。

半分夢心地で聴く、朝の到来を祝福するかのような生命の交響曲。

目を開けると、障子越しの光はうっすらと明るい。

2025年7月某日午前4時。日の出には30分程早いけれど、山の生き物たちはすっかり目覚め、今日も精一杯生きるぞと宣言をしているかのようです。

さて、約2時間後、漸くヒト(私)が目覚める頃には、既に真夏の朝日は容赦なく照りつけ、草木の緑が眩しい。カタバミやヒメイワダレソウに覆われた庭を、シジミチョウの群れが小さな羽根を羽ばたかせて輪舞しています。私は彼らの邪魔をしないように足元に注意を払って足を踏み出さなければいけません。慎重に慎重に…。突然、ショウリョウバッタがチキチキッと音をたて、慌てて草むらに飛び込んでゆきます。驚かせて、ごめんね。

 

東の谷から吹き上がる涼風に乗って、花から花へ、ふわりと舞うのはツマグロヒョウモン。マルハナバチやジバチ等の蜂たちは羽音を響かせ雄花から雌花へ、身体中に花粉を着けて忙しなく飛び回ります。ハナムグリやコガネムシもモゾモゾと雄蕊をかき分け、花粉まみれもお構いなく食事に夢中です。

一方、葉蔭で息を潜めているのはカマキリや蜘蛛たち。彼らもまた、生きるために虎視眈々とその時を待っているのです。

昼には閉じてしまう花もあるから、ここぞとばかりに繰り広げられる、夏の朝の旺盛な命の営み。その生命力あふれる美しさに、ついつい時間を忘れて見入ってしまいます。

 

さて、我がアマガエルくんといえば、夜通し鳴いて、食事をして、ぷっくり太った体を丸めて葉蔭でじっと休憩中。その愛らしさに見惚れていると、目の端を横切る煌めく青色。生い茂るナワシログミの葉蔭を、暑さから逃れるように、ニホントカゲが駆け抜けてゆきます。確かにこの日差しのもとでは、あなたたちの皮膚は干あがってしまう。

そろそろ日も高くなる頃、働き者の虫たちも緑陰で一休みの時間。

 

夏の「園丁だより」の構想を練っているうちに、初夏を過ぎ、猛暑どころか命に危険を及ぼすほどの酷暑の真夏を耐え、早いもので暦の上では立秋を迎えてしまいました。夜中のカエルの大合唱は、いつしかコオロギやスズムシといった秋の虫たちのオーケストラに移り変わっています。

夏から秋へ、生き物たちが命を謳歌する賑やかな季節が続きます。


(版画作品と文. 長野順子)



 



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