小池結衣のコラム  「ぶれる日々」第三話


小池結衣のコラム

「ぶれる日々」

 



ぶれず迷わず潔い。

若い時はこれがかっこよかった。

しかしこれは時に、

反省しない、視野が狭い、思考停止、を意味する。


ぶれて迷って往生際悪く生きるのも悪くない。

 





第3回 

「竹森さん(1)





逝く季節


「逝く季節」


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第3回  
「竹森さん(1)
  

 

私がその病室に移動になったとき、となりの竹森さんのベッドはちょっともめていた。

抗がん剤を繰り返していると、血管が細く、もろくなる。次の抗がん剤の点滴を受ける針が入りにくくなり、何度もやり直しになるのもストレスなので、竹森さんは太ももの静脈にカテーテルを通す手術を勧められていた。何度も針を刺される苦痛から解放されるため医師や看護師は勧めるのであるが、しかし竹森さんは嫌がっていた。「もう身体に管やらなんやら入れるの嫌や。」しばらく抵抗していたが、家族にも説得され、結局竹森さんは手術に同意した。

大部屋に入院すると、プライバシーも何もない。遮るものは薄いカーテンだけ、普通の声で話していても、一字一句聞こえてしまう。

私はカーテンの内側で、下絵を描こうとスケッチブックに向かう。隣の竹森さんを友人が見舞っている。大げさに、野菜の高騰に不満を述べる。きゅうりが1本60円!怒りがふつふつと湧いて来る。いったいそれが、わざわざ病気の友人を見舞って話す内容か。そもそもなぜ真冬の1月に夏野菜のきゅうりを食べたがるのか。

竹森さんには見舞客が多かった。友人が数人連れだって頻繁に来る。親戚も来る。ぜいぜい息の音をさせてほぼ毎日、病室の中まで電動カートで夫が来る。どたどた大きな足音を立て走り込んでくる孫を先導に、2日に一度、嫁が来る。それとは別に息子も来る。面会は食堂でというルールはあっても、守っている人は少ない。そもそも竹森さんは病状が良くないから、とくに移動が難しい。医師や看護師と話す声、病状や治療の経過も全て聞こえる。患者の取り違え防止にたびたびフルネームを名乗らされるが、「吉永小百合です」と竹森さんの冗談も聞こえてくる。4人部屋だから他の2人の患者についても同様で、当然ながら、私のベッドにも医師や看護師、薬剤師、掃除の人が、ふいに現れる。騒々しい。こんな環境で下絵に向かえない。私は人のいるところで制作できない。

病気でもすれば、人間死ぬ気になれば、何でもできるものだと思っていた。死ぬ気になれば何でもできる人とはつまり、普段から何でもできる人のことだ。普段なにもできない人間は、死ぬ気になっても何もできない。私は人の声がするだけで、下絵も描けない。

せっかく竹森さんはカテーテルの留置に同意したのに、どうやら手術はうまくいかなかった。

カテーテルを留置すれば何度も針を刺される苦痛はなくなるけれど、動きにくいし、そこから感染が起きたりする。苦痛をとりのぞくための新たな苦痛。

両者の苦痛を天秤にかけ、やっと同意したその手術は無駄になり、従来通り毎回点滴の針を刺される。

ある雨の日。竹森さんが看護師と話す声。果物が食べたいけれど、今日は誰も見舞いに来ないので地階の売店まで買い物を頼めない。感染症で世の中が騒がしくなり、家族以外の面会は禁止、もう友人は来られない。親戚も嫁も、今日は来ない日。雨なので、低速の電動カートで片道40分かかる夫も来られない。抗がん剤の吐き気は食欲を奪い、喉を通るものが極端に減る。果物ならば食べられるけれど、看護師は、そういう頼まれごとは受けられない。

私は散歩に出るところだった。せめてもの筋力温存に、点滴がない日は毎日8階から地階まで階段で降りる日課。いそいそとコートを着込んで、素通りもできまい。


(次回 竹森さん(2)に続く)


(版画作品と文 小池結衣)


 


 

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