小池結衣のコラム

「ぶれる日々」

 



ぶれず迷わず潔い。

若い時はこれがかっこよかった。

しかしこれは時に、

反省しない、視野が狭い、思考停止、を意味する。


ぶれて迷って往生際悪く生きるのも悪くない。





小池結衣「銀河鉄道を見た」

「銀河鉄道を見た」

メゾチント
イメージサイズ 145×174mm
シートサイズ 245×260mm
ed.1/30  2022年

シート税込¥16,500

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第1回  
「忘れちゃう」
  


もう一昨年のことになりますが、二か月間入院しました。もともと病院にほとんど縁のない健康人間。入院自体が初めてで、初心者がいきなり上級クラスに放り込まれたような経験でした。

入院中、採血や注射で、何十回も針を刺されました。当然刺すにも得意な人とそうでない人があり、ほとんど痛みがない時もあれば、かなり痛いこともあります。とりわけ週1,2度の血管に沿って長い針を入れなければならない点滴の針は、どうか上手い人に当たりますようにと毎回ひやひやもの。はじめはひじの内側あたりを刺され、うまく入らないとやり直し、刺す場所がなくなってきてだんだん手首の方になるのですが、これは手首に近づくほど痛いのです。この作業が不得意そうな研修医などが刺し場所を探して腕をなでたりさすったり、今来るか、来るかと待っている気持ちはなんとも恐ろしいものです。2度失敗すると人が交代になり、一番多い時には3人が計5回失敗、6度目には痛みに思わず叫びました。(言うまでもない事ですが、なにごとも得手不得手があるのは当然のこと、血管にも針を刺しやすいものとそうでないものがあります。失敗はもちろん不可抗力です。入院中、医師も看護師も患者の苦痛を出来るだけ減らそうとしてくれているのを常に感じました。失敗する人が悪いとか、ひどいとか言っているのではありません。)

さて、長期の入院でしたので、筋力が衰えないよう病院内を徘徊していたところ、院内学級を見つけました。教室に飾られた色とりどりの折り紙を見てふと、私は自分が恥ずかしくなりました。こんなところで小さな人たちが、通常の小学校にも通えず、友達と遊ぶこともできず、辛い病気と治療に耐えている。私などは、もともと非常に健康で、全く運がいい人間だ。いい歳をして、針を刺される痛みなんか、何だろう。むしろ練習台になるくらいでちょうどいい。どうか、彼らが少しでも、痛い思いや辛い思いをしなくて済みますように。

 

――「僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸いのためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」

「うん。僕だってそうだ。」――宮沢賢治「銀河鉄道の夜」より

 

けれども、忘れてしまうのです。

やはり点滴を打たれる日になると「あまりに手際が悪く、背後で看護師さんが笑いをこらえていたあの研修医には当たりませんように…」などと考えているのです。針が刺さる瞬間をはらはら待っている時には、折り紙のことなどきれいさっぱり忘れてしまうのです。

一方で、再び折り紙の教室の前にさしかかり殊勝な気持ちになるときには、点滴を打たれるあの痛さ、手術前に一番痛い手の甲に太い針を何度も失敗されて拷問のようだったこと、その痛みを思えば治療の意欲もみるみる萎えて、もはや治療自体をやめたくなってしまうあの重苦しい気持ちは、やはり忘れてしまうのです。

「針を刺される時に折り紙の事を思い出して前向きに治療を受ければ良かった」と結論付けるべきでしょうか。しかし、それも現在のところ点滴の必要がなくなった私だから容易に言えることかも知れません。

辛い事は忘れるようにできているものらしく、実のところ、治療の辛かった気持ち、退院後に鬱でしんどかった気持ちも、おおかた忘れてしまいました。

だからこそ、今まさに直面している事でなければ忘れている感情がたくさんあるということ、
そうして毎日矛盾しながら生きている事、その事をこそ、忘れずにいたいと思うのです。


(版画作品と文 小池結衣)



 


 

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