小池結衣のコラム

「ぶれる日々」

 


ぶれず迷わず潔い。

若い時はこれがかっこよかった。

しかしこれは時に、

反省しない、視野が狭い、思考停止、を意味する。



ぶれて迷って往生際悪く生きるのも悪くない。


 



第7回

「悲しむ必要








「休息」

メゾチント

イメージサイズ 175×145mm
シートサイズ 287×226mm


ed.30  2023年

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第7回

「悲しむ必要
 

 

二十歳の時、母親が死んだ。葬式のあとだろうか、母はクリスチャンだったので、その教会で食事をしていた。たくさん並んだ長机の、向かいに座っていた初対面のおばあさんが話しかけてきた。
「親が先に死ぬのは当たり前や。お母さんは天国から見守ってくれてはるわ。しっかり生きていかなあかん。」
安ドラマのような押しつけがましい口調で食事の間じゅう説教された。説教がしたくてわざわざ私の向かいに座ったのだろう。あるいは、母親を亡くした若い娘が、気の毒に思った周りの人々から親切にされているのが気に食わなかったのかもしれない。そういう人は一定数いるものだ。
一体、何のわだかまりもない母と娘の関係など存在するのだろうか。母の干渉が恐ろしく、隠せるものは何もかも、自分自身をさえ母から隠していた。死んでからさえ見守っていただきたいとは思えなかった。クリスチャンでない私は母が天国に行ったとも思わず、親が先に死ぬのが当たり前など当然のことを今言われても何の意味もなさず、なぜこんな陳腐な説教を得意げに聞かされなければならないのかと腹立たしかったが、若い私は見知らぬ年長者に言葉を返す習慣を持たず、怒りと悲しみで涙が止まらなくなったまま、食事が終わって彼女がどこかへ行ってくれるのをただ待っていた。

数年前、飼っていた猫がいなくなった。年配の知人に、会うなり「立ち直ったか〜!」とうれしそうに茶化され、耳を疑った。立ち直れと言われたから立ち直るようなものではない、と返すと、彼は「悲しんでいても仕方がない、気持ちを切り替えなさい」。彼は私の上司でもないし、私の仕事効率が下がって迷惑を被る立場でもない。普段から求められていないアドバイスを一方的にくれる人であったが、これは悪質だと思った。

万人に共通する、悲しむべき適切な期間というものもなければ、それさえ口にすれば万人が慰められる便利な言葉もない。自分の助言が歓迎されていないことに気付けないほど相手に関心を持たず、上からものを言う自己顕示で、相手を元気づけ、尊敬され、感謝される魔法の言葉は存在しない。

自分の悲しみに向き合うことをせず、それをなかったことにして、いつもぶれずにポシティブに生きたい人は、そうすればいいと思う。悲しんでいるときには、仕事の効率は下がるだろう。暗い顔をしていれば、周りに迷惑かも知れない。けれども私は、私の悲しみを、きちんと悲しまなければならない。共感力の欠如を強さと混同し、弱っている人を見つけてしたり顔で近づいてゆき、跳ね返す力も失っている人を相手に、助言と称して弱っていること自体を非難する言葉を投げつけたりしないためにも。

18年間一緒にいてくれた猫が亡くなった時には、1年くらい毎日泣いていた。知人が「ひにちぐすり」、「明けない夜はない」と慰めてくれたのであるが、私は亡くなった猫をその場に置き去りにするようで、時間が経つのが悲しかったのである。「もう朝が来なければいいのに」と返してしまった。

――明けない夜もある。――ウィリアム・シェイクスピア「マクベス」より 頭木弘樹訳

「明けない夜はない」というのはもともと「マクベス」の中のセリフThe night is long that never finds the day. の訳だそうである。朝が来ない夜は長いと言う言葉を、ポシティブにとらえた名訳であるようだ。けれどもこれは、大切な者を亡くしたばかりの人にかけた言葉である。同じ言葉を文学紹介者の頭木弘樹さんが「明けない夜もある」と訳されているのを知って、たいへん感銘を受けた。私が聞きかった言葉は、これであると思った。亡くした者は決して帰ってこない。その者の夜は実際に二度と明けることはない。その者と残された者が共にある夜も、二度と明けることはないのである。その死を深く悲しむ人間には、明けない夜もあると言われた方が納得できる。励ましや、助言はいらない。辛い想いをしていることを、否定しないで欲しいのである。もちろん「明けない夜はない」と励ましてほしい人もいるだろう。それを否定するつもりは毛頭ない。けれども私には、いつまでもうじうじとうっとうしいと言われたように感じた。人前で悲しい顔をしていては迷惑なのだと思った。ネガティブな発言を詫び、うわべは明るく振舞ったが、そのあとうつ傾向が強まってしまった。こういう事は、案外多いのではないか。励ます方はポシティブな事を言う、励まされた方は迷惑なのかと思ってネガティブな発言を控える。励ました方は、慰めた甲斐があったと喜ぶ。励まされた方は、孤立を深める。

逆の立場だとどうだろう。そばにずっと暗い顔をした人がいて、いつまでも一つの事を悲しんでいる。それを長い目で暖かく見守り続けられる人は、かなり精神力の強い人ではないか。多くの人は、やはり何かポシティブな励ましの言葉をかけたくなるのではないだろうか。生きていれば乗り越えるのがつらい大きな悲しみに出会うことがある。それをそばで思い出させられることを、無意識的に避けたくなるのではないか。だとすると、弱っていること自体を攻撃する言葉も、自己顕示ばかりではなくむしろ自己防衛に近い感情から来るのかも知れない。人間は弱いのだ。感受性のにぶさとは、共感力の欠如とは、実は人間の弱さから来るものかも知れない。

世界には悲しみがあふれている。悲しんでいる人には、それぞれ悲しむ理由があり、悲しむ必要がある。人の悲しみを、否定も矮小化もしない強さを持ちたいと思う。私にそれができるだろうか。

 

(版画作品と文. 小池結衣)


 

 


 

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